フジテレビのドラマシリーズ「世にも奇妙な物語」の物語の1つに、将棋にまつわる物語があります。1991年の12月放送の「王将」というタイトルの話です。今から24年前の作品です。
この作品、単体で見ても奇妙ではあるのですが、現代の将棋界事情、特にコンピュータ将棋事情と照らしあわせてみると、さらに奇妙なのでご紹介します。
なにか、現代を予言しているかのような作品なのです。
ストーリー
「大名人」玉沢大八(丹波哲郎)は、70歳。219連勝を達成し、そのまま「指す相手がいなくなった」として7年前に引退した「先読みの達人」。「大名人」は名誉称号のようなものだと思います。
一方、その引退と同じ年に四段となった現在の「名人」である龍ケ崎健太(高橋一也)は若き自信家の棋士で、コンピュータを駆使して棋譜を全て記憶する「記憶の天才」。何億局面も記憶しているという。
玉沢は引退以来、誰の挑戦も受けてこなかったが、突然「龍ケ崎の挑戦なら受ける」と宣言した。
龍ケ崎は即座に挑戦を決断。ここに真のナンバーワンが決定することになった。
なぜ玉沢は挑戦を受ける気になったのか。
(わかりにくいですが、「龍ケ崎名人」が「玉沢大名人」に挑戦するという構図です)
先読みの達人
龍ケ崎は玉沢に挑戦するにあたり、過去の棋譜データを調べてみるが、そこからは「棋風」は見えない。しかも引退してから7年間の空白期間がある。
困った龍ケ崎は、現在の玉沢を知ろうと、玉沢の自宅に向かう。
その途中、ふと立ち寄った神社で、老人から「龍ケ崎君」と声をかけられる。
その老人こそが「大名人」玉沢。玉沢は龍ケ崎の行動を先読みし、神社で待ち伏せていたのだ。
玉沢は龍ケ崎を「君のその手は将棋指しの手ではない」と一喝。研究にコンピュータを用いて日夜キーボードを叩いていた龍ケ崎の手は、将棋指しのそれとは違っていた(1991年当時はコンピュータを使うことが珍しかった)。龍ケ崎は「これは私の流儀です」と反発。
玉沢は「私を読みたまえ。記憶力は歳をとると衰える。君にはもっと大きな流れで人間を読める力がある。これから私が何をしようとしているか読めるか。私のためではない、あるものを買いに行く。先手は私になるだろう、ひねり飛車だ」と言い残し立ち去る。そしてその足で湯呑みを購入。
玉沢の後をつけていた龍ケ崎は、なぜ湯呑みを購入したのかと疑問に思う。
その後龍ケ崎は玉沢の過去の棋譜を調べるが「ひねり飛車」を採用した前例はない。それでも玉沢の全ての棋譜、ひねり飛車の全ての前例を記憶し、万全の準備をして勝負に挑む。
対局
玉沢が予告したとおり、振り駒で玉沢が先手となる。
しかし玉沢はなぜか初手に60分以上長考。
その末に指されたのが。
▲5六歩!!
通常ひねり飛車は、飛車を六段目に浮いた状態で横の動きを見せる作戦。一例は以下。
なので、5筋の歩を突いてしまうと飛車が横に動くのを制限されてしまう。したがってありえない手(と思います)。もちろん、中飛車などであれば初手▲5六歩はあるが、ひねり飛車と宣言された上で初手▲5六歩とされて龍ケ崎は混乱。
必死に記憶を探るが、記憶の中からは答えが出ない。
投了
龍ケ崎はここで「参りました」と投了。その時、混乱の余り勢いよく床に手をつき、自分の湯呑みを割ってしまう。
玉沢は「それを読んでおった」と言い、購入していた湯呑みを龍ケ崎にプレゼント。
220連勝となった玉沢は、帰りの車の中で「龍ケ崎君との勝負の展開を読むのに7年も費やしてしまった」と漏らした。
奇妙な物語
「記憶の天才」龍ケ崎に、現在のコンピュータ将棋ソフトを連想した方も多いのではないでしょうか。現在主流の将棋ソフトは、プロ棋士の棋譜を読み込み学習する手法が採られています。
この放送から19年後の2010年に、当時の日本将棋連盟会長である米長邦雄永世棋聖が発言した「コンピュータが羽生善治名人と対局するときの条件は、対局料7億円」。
7億円は、羽生名人が1年間すべての棋戦を欠場しコンピュータ将棋の研究に専念したときの損失額の見積もりだとされています。米長永世棋聖は、羽生名人から「コンピュータと戦うとしたら、1年間欠場してコンピュータ将棋の研究にあてる」と聞いていた、というのが根拠。
物語の中の大名人は、新四段となった龍ケ崎をみて、その年に引退を宣言して7年間も龍ケ崎の研究に費やしたことになります。
序盤早々の投了
さらに、放送から24年後の今年4月に行われた将棋電王戦FINAL第5局、▲阿久津主税八段VS△コンピュータ将棋ソフトAWAKEの一戦。
将棋ソフトの弱点をつく、△2八角を打たせる手順に誘導した阿久津八段。それに対し開発者・巨瀬亮一さんは、AWAKEがその手順に誘導された局面で投了。わずか21手での出来事でした。
「記憶の天才」の弱点を突いて投了に追い込んだ大名人と、なにか共通するものを感じられると思います。
記憶力VS読み
「記憶の天才」と「将棋ソフト」が少々異なるのは、現在の将棋ソフトは「記憶力」に加えて「読みの力」も兼ね備えていること。ただし、この読みの力は「広く浅く読む」ことが得意で、あらゆる可能性を試すため人間が思いつかないような手を発見しますが、一方で「一直線に深く読む」のは苦手とされています。
△2八角が良い例で、AWAKEは△2八角を打って敵玉の近くに馬を作ることが確定し自分が有利だと評価しますが、その何十手か先で馬が捕獲されてしまうところまでは読めない、という事例です。
大名人は、記憶の天才に「私を読みたまえ」と言いました。
また以前、羽生善治名人がガルリ・カスパロフさんとの対談で、歳をとってからの戦い方に触れた場面があります。
歳が上がると反射的な能力や計算的な能力は衰えるが、局面の全体像を捉える感覚的な能力を磨いていくっていうことが、強くなっていくことだと思う
ETV特集「羽生善治×ガルリ・カスパロフ対談」。人工知能、加齢、引退、チェスと将棋の違いなど
いわゆる「大局観」の話ですが、こう考えてみると、若手棋士、ベテラン棋士、そしてコンピュータと、同じ将棋というゲームでもそれぞれ違った価値観の下に戦っているのではないかという気になってきます。
「王将」は、このような価値観のぶつかり合いを描いた作品とも言えると思います。
リメイク
この「王将」を現代風にリメイクするとしたら、「記憶の天才」は誰でしょうか。やっぱり若手棋士か、それとも将棋ソフト開発者か、あるいは人工知能(AI)か・・・。
「先読みの達人」は誰でしょうか。「記憶の天才」に対して引退してまで7年間に及ぶ研究を重ね、それを打ち破るというベテラン棋士。設定が凄すぎて、当てはめられない。米長邦雄永世棋聖が近かったのかもしれません。
米長「私を読みたまえ」
何か、似合うような気がします。
なお、ストーリーテラーのタモリさんは、この物語の冒頭で以下のように述べています。
理詰めで考えれば、どんなことでも正確に先が読めてしまう。
これはなにも将棋の世界に限ったことではなく、私達の周りにいくらでもあることなのかもしれません。
平凡な我々には、一見魔法か、超能力のように見えてもね
以上、24年先の現代を読んでいるかのような世にも奇妙な物語のご紹介でした。
コメント
四段になった年に引退して7年間研究→ほぼストレートに順位戦を上がって名人になるとの読み?
羽生や渡辺の将来を予言した中原の感覚(河口の著書より)を思わせる…
初手5六歩→今では普通の出だしもゴキゲン中飛車がなかった時代には前例なし?
など、興味深く読みました。
コメントありがとうございます。
そうでしょうね、第一感、この男が何年後かに名人に挑戦してくる、その時私は勝てない、あるいは相当の脅威になるというのは、リアルの棋士でもある感覚かもしれません。そこで引退してずっと研究に費やして読み切るというのが奇妙ですね。
原始中飛車などでも初手▲5六歩はあるので、当時でも前例は多くあったと思います。
が、読みの鋭さを魅せつけられ(神社で待ち伏せされる)、ひねり飛車を予告され、その上での初手▲5六歩なので、混乱に陥ったのだと思います。そこが人間っぽいと感じるか、コンピュータやAIっぽいと感じるかはひとそれぞれかと思います。
コメントありがとうございます。
初手5六歩あったんですね。
原始中飛車は初手で飛車を中央に振るのかと思ってました。
コンピュータなら投了はなさそうだから、人間っぽさを感じました。
コメントありがとうございます。
初手▲5八飛も、▲5六歩もどちらもあるようですね。私は詳しくないのでどの程度指されていたのかわかりませんが。
名人、大名人ともに、いろんな人やモノに当てはめることができる、多くの見方ができる作品だと思いますね。コメントありがとうございます。