所司和晴七段といえば、定跡研究やシャンチーなどの将棋類に関する第一人者でもありますが、弟子が多いことでも知られます。
渡辺明二冠をはじめ、松尾歩七段、宮田敦史六段、石田直裕四段など、それに女流棋士や奨励会にも門下生がいらっしゃいます。
そんな所司和晴七段が、いまだ一門から出たことがない「名人」にこだわる思いを語りました。
これは、2015年3月12日にニコニコ生放送で中継された第64期王将戦7番勝負第5局1日目(弟子の渡辺明王将VS郷田真隆九段)での話です。
名人を獲ってくれたら文句なし
放送の中で、解説の所司七段が「弟子が大きな活躍をしたら記念大会や祝賀パーティーを催している」という話に。
所司七段は、渡辺明二冠が竜王を連覇しているときはその記念大会があったが、その後竜王を失冠したことで記念大会は終わってしまったのだという話もされました。また、渡辺二冠は現在、棋王と王将のタイトルを保持していますが、その記念大会を開催するかどうかについては「どうしようかな」と迷っているという話もされました。
そして、所司七段は「今年、もうひとつ活躍してくれれば(記念大会ができる)」と発言。さらに「名人、獲ってくれたら文句なしですね」と述べました。
名人への思い
すでにお伝えしたとおり、渡辺明二冠はこの2日前の3月10日に、名人への挑戦をかけたA級順位戦プレーオフで敗退。
師匠、この状況でなかなか厳しいことをおっしゃるな、と思ったのですが、この言葉にはある思いがあったようです。
所司七段は「名人位には、結構特別な思いがあるといいますか・・・」と話し始めました。
師匠の師匠のお墓参りで
所司七段の話によれば、自身の師匠である故・平野広吉七段と一緒に、そのまた師匠である故・斉藤銀次郎八段のお墓参りに行ったことがあるそうです。そこで、平野七段がしみじみと
「うちの一門の系統で、いつか名人を出したいんだ」
「うちの棋士の系統を切らさないでくれ」
と、所司七段に語ったそうです。
前述のとおり、所司七段は弟子が多いことで知られますが、このエピソードも「早くから弟子をとるようになった理由のひとつ」なのだそうです。
当時、竜王はなかったので・・・
所司七段は「渡辺君が竜王位をとってくれて、竜王は棋界最高位ですし、私の師匠の夢は果たせたかな」としたものの、「一応、師匠の目の黒いうちは名人位だけだったので、”名人位を”と言っていたので、まあもうひとつですね、名人位を獲ってほしい」と話しました。
「十段戦」が発展的に解消され「竜王戦」となり、棋界最高位に位置付けられ、島朗六段が初代竜王となったのは1988年11月のこと。所司七段の師匠である故・平野広吉七段が亡くなったのは翌1989年1月のことです。
やはり、「名人」というのは昔からの棋士の夢というか、歴史を感じますね・・・。
私には想像もできませんが、やはり棋士にとっては大変な重みがあるのだと思います。
ニコ生初登場でした
実は所司和晴七段は、この日がニコニコ生放送初登場。柔らかい語り口で、聞き手の安食総子女流初段とともに、癒されるお2人のトークでした。
シャンチーの講座も面白かったです、特に詰めシャンチー。いろいろ引き出しがありそうで、今後もニコ生に出てほしいですね。
貴重なお話をありがとうございました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。