佐藤天彦八段が三段リーグ次点2回でのプロ入りを辞退した理由

2015年2月16日にニコニコ生放送で中継された第64期王将戦七番勝負第4局初日において、A級への昇級を決めたばかりの佐藤天彦八段が解説として登場。

メール質問に答える形で「三段リーグ次点2回でプロにならなかった理由」を話してくれました。

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三段リーグ次点2回とは

日本将棋連盟の奨励会規定によれば、「フリークラス編入規定」として

三段リーグ戦で、2回次点を取った者はフリークラスに編入することができる。

とあります。次点とは3位のことであり、1位、2位が(順位戦に参加する)四段昇段を決めるのに対して、その次の順位という意味です。

フリークラス(通称フリクラ)は、プロ棋士といっても順位戦に参加しないクラスであり、そしてフリークラス規定では、

復帰規定に該当する成績を取れずに、編入後10年間経過、もしくは満60歳の誕生日を迎えた年度が終了した場合は引退

とあります。

復帰規定に該当する成績とは、

良い所取りで、30局以上の勝率が6割5分以上

などいろいろありますが、結構厳しいです。

佐藤天彦八段は、2004年に2度目の次点をとり、フリークラスへの編入、つまりプロ入りできる権利を得たものの、これを放棄して三段リーグにとどまったことで知られます。

フリクラを選ばなかった理由

佐藤天彦八段は2つの理由をあげました。

降って湧いた権利

ひとつは、このプロ入りの権利が降って湧いたものだったこと。

佐藤天彦八段によれば、2回目の次点を得た時の三段リーグは、最終日(残り2局)を10勝6敗の成績で迎えたために、まさか権利を得るとは考えていなかったとのこと。(最終日を2連勝し、12勝6敗で次点となった)

また、「自分のなかで、(三段リーグから四段になるときは)13勝以上はしたい」という気持ちもあったとのこと。

さらに気持ちの問題として、勝利を積み重ね昇級の可能性が高まっていくと同時に、「気持ちを高めていって、さあ」と、気持ちを充実させて昇級を決める対局にのぞみ、そして昇級したかったようです。

しかし、降って湧いたようなプロ入りの権利では「気持ちの面で準備が」できていなかったと話していました。

どちらにしても10年

一方で、冷静な判断もあったようです。

佐藤天彦八段が三段リーグで次点2回をとり、フリークラス編入の権利を得たのは16歳のとき。フリクラでは10年間で規定の成績を満たさないと引退となってしまいます。16歳でフリクラ入りすれば、規定の成績を満たさなければ26歳で引退。

そして、三段リーグ(奨励会)の年齢制限も26歳。

つまり、すぐにフリクラでプロになったとしても、三段リーグでも、将来を見据えるといずれにしても猶予は10年。

ちなみに、佐藤天彦八段は当時、師匠である中田功七段にどちらにするか聞かれた時に「どちらでもいいです」と答えたとのこと。

ただ、佐藤天彦八段は「この後も頑張り続ける」にはどちらの環境がよいか判断したようです。

フリクラを蹴っても上がれる自信があったわけではない

この話をめぐっては、佐藤天彦八段が「権利を蹴っても、上がれる自信があったから」という理由でフリクラ入りしなかったのでは、という話もありますが、本人は「そんなんじゃない」と明確に否定していました。

なお佐藤天彦さんは、この2年後である2006年に、三段リーグ2位の14勝4敗で(順位戦に参加する)四段昇段を果たしています。

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