2015年4月23日は、第73期名人戦(羽生善治名人VS行方尚史八段)の第2局2日目が行われました。
戦型は、羽生名人が意表の相掛かりを選択。力戦で、1日目で26手しか進まないというスローペースでしたが、2日目の午後のおやつ過ぎから駒がぶつかりだし、最後は両者持ち時間をほぼ使い切るなか行方尚史八段が勝利。シリーズの対戦成績を1勝1敗としました。
ところで、その翌日、テレビ朝日系「徹子の部屋」では、名人戦に関する俳句が詠まれていました。
黒柳徹子さんと句会仲間
この日、「徹子の部屋」のゲストは、約20年前まで発行されていたミニコミ誌「話の特集」で編集長を務めていたフリージャーナリストの矢崎泰久さんと、女優の傍ら随筆家・俳人としても活動されている冨士眞奈美さんのお2人。
このお2人と黒柳徹子さんは、実は46年来の俳句仲間。今でも月に1回「俳句の会(話の特集句会)」をやっているそうです。
豪華メンバーの句会
矢崎さんは現在82歳、冨士さんは77歳、そして黒柳さんは81歳。
若い頃から共通の趣味をもち、仲間としてずっと会を継続しているのは素晴らしいことで、憧れます。
この会には、小沢昭一さん、斎藤晴彦さん、中山千夏さん、渡辺武信さんなどが集まっていたらしいです。名前を聞いてもピンとこない方もいらっしゃいますが、調べてみるとかなり豪華なメンバー。そして渥美清さんや岸田今日子さんまで参加されていたそうです。
この句会の中心だったのが矢崎泰久さん。2014年末には、この句会から出た俳句で構成された本「句々快々―「話の特集句会」交遊録」を出版されています。
黒柳徹子さん、冨士眞奈美さんが天に抜いた作品
「徹子の部屋」では、この本の中からいくつかの俳句が紹介されました。
その中で、黒柳さん、冨士さんがともに天に抜いたという矢崎さんの作品がこちら。
名人戦 沈黙の棋士 春惜しむ
(「天に抜く」とは、句会の用語で、集められた俳句作品の中から各自が特に良いと思った作品を選ぶことらしいです。「天」が最高で、以下「地」「人」があるらしい)
将棋ファンにとっての季語
残念ながら、この俳句に対する解説などは番組内ではありませんでした。もしかしたら上記の本に掲載されているかもしれません。
ただ、矢崎さんは明確に「棋士」は「将棋指しのこと」だと発言していました。囲碁ではないです。
そういえば、将棋の名人戦は毎年春に行われます。将棋ファンにとっては季語のようなもの。名人戦に出る棋士は春を楽しんでいる余裕などなく、ただ過ぎていく春を惜しむ、みたいな意味なのでしょうか。それか、「春」は別の何かの比喩なのか。
それにしても羽生善治名人は8年連続の「春惜しむ沈黙の棋士」ですか・・・。
以上、素敵な俳句のご紹介でした。
コメント
「名人戦 沈黙の棋士 春惜しむ」の句ですが、次のようにも解釈できるように思います。「沈黙の棋士」は名人戦に出場できなかったすべての棋士。名人戦を開催している時期は、順位戦が始まらないので、その他の棋士にとって、ささやかな休息の時期です。名人戦の舞台に立てない無念さはあるが、勝負に明け暮れる将棋棋士にとってのささやかな「春」の休息でもある。そんな「春」もあっという間に過ぎれば、再び勝負の世界に身を投じねばならない。やがて「春」も終わって、再び勝負の日々が始まるのだなあ。そのような句ではないでしょうか。
コメントありがとうございます。
なるほど、たしかに「名人戦に出られなかった棋士」という解釈もできますね。春を惜しむという意味の解釈も素敵です。
名人戦期間中はほとんどの棋士にとっての春で、春は「新しい何かの始まり」ともとれますし、これを惜しむ、というのが深い意味に聞こえてきます。
矢崎さんと将棋とのかかわりがどの程度だったのかわかりませんが、この解釈だと将棋の世界をある程度知っていることになりますね。
そして天に抜いた黒柳さん、冨士さんも。
正確には矢崎泰久さんの本を見てみるしかないのですが・・・。徹子の部屋でもうちょっと解釈を教えてくれればよかったのですが、特になかったのが残念。
興味深い解釈をコメントいただき、ありがとうございます。
ちなみに、囲碁の名人戦は9月開幕なので、「名人戦」「春」を並べれば、「棋士」は「将棋」を指していると解釈するのが自然しょう。
情報ありがとうございます。
そうですね、これも将棋の名人戦が春に行われることを知っている上での句となると思うと、やはり3人はある程度将棋に詳しいということになりますね。
コメントありがとうございます。