2015年5月7日、竜王戦6組昇級者決定戦の敗退をもって、引退が決まった熊坂学五段。
熊坂学五段の引退が決定。現役続行かけた5番勝負の初戦で敗れる
引退の夜に
その夜、野月浩貴七段は真っ先に以下のツイート。
くまくん、お疲れ様でした。
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2015, 5月 7
そして・・・。
懐かしい写真。
ウィーンフィルと西が丘で試合をした時に、みんなで作戦会議してる時のもの。17〜18年前位?
遠山、藤倉、深浦さん、自分。当たり前だけどみんな若い。 pic.twitter.com/EmYxtO36ku
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2015, 5月 7
17~18年前だという写真。深浦康市九段の髪型が変わってない。もう一枚。
その2。
真ん中のGKのユニがコーヤン(中田功七段)で、その手前に座ってるのが昨年アマ名人になった城間、その右に立っているのがくまくん。
この頃の連盟サッカー部、ユニは自分の趣味で好きなチームの1つだったAJAXで統一してた。 pic.twitter.com/2lW5SxKZZo
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2015, 5月 7
AJAXとは、アヤックス・アムステルダムというオランダの名門サッカーチーム。
それに対し、熊坂学五段が返答。
@nozuki221 こんばんは。髪ありますね…(笑)懐かしいです。ありがとうございましたm(__)m
— 杜の熊さん (@kumasaka244) 2015, 5月 7
「髪ありますね」。引退が決まって、最初のツイートの最初の言葉。これは、なかなか言えませんよ・・・
17、8年前というと、熊坂五段は奨励会時代ですね。
それに対し野月七段。
@kumasaka244 お疲れさま。
なんか思い出しちゃって引き出しゴソゴソして出した。また仙台で飲もう!
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2015, 5月 7
男の友情。そして・・・
応援して下さいました方々に。ありがとうございました。残念ながら、勝負師としては器量が足りませんでした。ありがとうございました。
— 杜の熊さん (@kumasaka244) 2015, 5月 7
2年4ヶ月ぶりの相居飛車の理由
引退がかかる一局で、2年4ヶ月ぶりの相居飛車を採用した理由について、日本将棋連盟モバイルの中継ブログでは熊坂五段が以下のように語っています。
最後は勝っても負けても居飛車で、できれば矢倉をと思って
自分は基本的に子供の頃からずっと居飛車党という意識がありました
居飛車党だったのですね。その後、記者からの「振り飛車党のイメージだった」という突っ込みにも
私の場合は綺麗な振り飛車ではなく泥臭い振り飛車なので(笑)
という返答しています。
引退について
同中継ブログでは、熊坂五段が自身の引退について、「チャンスがあったがものに出来なかった」として「自業自得」と評価。
その他、中継ブログには、「最後の1年は自分らしく指せた」とか、印象に残る出来事として「年齢制限ギリギリで、子供の頃から知っている大平(大平武洋五段)と一緒に四段になった」こととか、10年前のフリークラス陥落については「人生は待ったできませんから」とか「高柳(高柳敏夫名誉九段)・中原(中原誠十六世名人)系の名門に泥を縫ってしまった」とか、印象的な言葉が綴られています。
最後にファンに向けて「この場を借りてありがとうとお伝えしたいです」と述べています。(詳細は日本将棋連盟モバイルで)
追記:上記で言及のあった大平武洋五段が、この翌日にブログを更新しています。
お疲れ様でした
野月浩貴七段のオチ
と、そんなところに野月七段が再びツイート。
こんなのもあった。笑
プロになる前だろうから、高校生位ですかね?この頃はカツラじゃないはず! pic.twitter.com/1lnyWOuGiJ
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2015, 5月 7
これは佐藤紳哉六段。
見事にオチが付きました・・・。
熊坂五段、あらためて、お疲れ様でした。
野月七段も、おそらく熊坂五段を気遣ってこのオチを持ってきたのだと思います。誰にでもできることではありません。
ありがとうございました。