2002年に引退された将棋棋士で、将棋ライターをされていた河口俊彦さんが、1月30日にお亡くなりになったとの訃報がありました。死因としては腹部大動脈瘤破裂。ごく最近まで執筆されており、急なことだったと思います。78歳でした。
お悔やみを申し上げます。
以下に簡単ではありますが、経歴を紹介し、その後に棋士や女流棋士、将棋関係者の方々がお悔やみのツイートをされていますので、ご紹介したいと思います。
河口俊彦さん経歴
1936年生まれ。1951年、奨励会に入会。
1966年に四段、2000年に七段、2002年に引退。その後将棋関連のライターに。
有名な連載は雑誌「将棋世界」に1978年から2006年まで、途中中断を挟み連載された「対局日記」及び「新・対局日記」。
2002年度の将棋ペンクラブ大賞など、受賞。著書多数。
棋士の方のお悔やみツイート
棋士の方がお悔やみのツイートをされています。
遠山雄亮五段、およびitumonさんは朝日新聞の記事を引用しお悔やみをツイートしています。
突然すぎます。 RT @itumon: 「【おくやみ】河口俊彦氏が死去 将棋棋士七段 」(日経新聞の記事)→http://t.co/YLtJT9WsyT
「将棋棋士・河口俊彦さん死去 連載「対局日誌」が好評」(朝日新聞さんの記事)→http://t.co/pg4sjwdKNG
— 遠山雄亮 (@funnytoyama) 2015, 1月 31
上野裕和五段。
河口先生とは、この間の王座戦の後、タクシーでご一緒させて頂きました。あまりにも突然で…。
— 上野裕和 (@hirokazuueno) 2015, 1月 31
浦野真彦八段。ツイッターでは「詰将棋指し@nenehimapapa」を名乗っています。
将棋マガジンの対局日誌はいつもファン目線で読んでいて、そこに自分の名前を見つけると嬉しかった。若い頃、控室でたいしたことはない病歴を披露していたら「きみのようなタイプが意外と長生きするんだよ」とにこやかに声をかけてくれた、河口先生。今なら正真正銘の病気自慢ができたのに。
— 詰将棋指し (@nenehimapapa) 2015, 1月 31
野月浩貴七段。思いが伝わってくるようなツイートです。
河口俊彦氏が死去 将棋棋士
http://t.co/AhimrRudU6
河口先生にはとても可愛がっていただきました。入院された日に関係者から教えていただき心配していました。自分が知らない時代の将棋界のことや、サッカー話を聞くのが楽しみでした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2015, 1月 31
河口先生には電王戦がきっかけでニコ生や携帯中継を観たいと言われ「野月くん悪いけどさ、買ったり設定するのを手伝ってくれよ」で、横浜の電気屋で待ち合わせてテザリング機能付きのスマホとipadを選んで、喫茶店で設定してあげたこと。「76歳なのに凄いだろ」と楽しそうに使いこなしてた。
— 野月 浩貴 (@nozuki221) 2015, 1月 31
佐藤慎一五段。観戦記に関するツイートは、つい最近に見たような気がします。急だったんですね。
「将棋棋士・河口俊彦さん死去 連載「対局日誌」が好評」(朝日新聞さんの記事)→http://t.co/SwpCIgNGYD"
そんな、あんなに元気だったのに…。
最後にかけて頂いた言葉が「君の観戦記を書きたいから頑張ってくれ」になるなんて。もう一生無理になったの…
— 佐藤 慎一 (@et_world0816) 2015, 1月 31
石田直裕四段。いろんな方に激励の言葉を掛けられていたようで・・・
河口先生には今月観戦記を書いていただきました。激励の言葉をいただけたのは嬉しかったです。謹んでお悔やみ申し上げます。
— 石田直裕 (@naohiro1205) 2015, 1月 31
森信雄七段。
河口俊彦氏が死去 将棋棋士七段 :日本経済新聞 http://t.co/qLhdqNuwfl
「森君さあ、〇〇はどうなの?」お会いすると笑顔で語りかけてくれるのが常でした。包み込むような暖かい目線と作家としてのシビアな目線を感じる先生でした。謹んでご冥福をお祈り致します。
— 森 信雄 (@morinobu52) 2015, 1月 31
加藤一二三九段。河口俊彦さんの3学年下。ほぼ同世代ですか・・・。
『対局日誌』が好きでした。将棋界の読み物でベスト3に入る質の高さと思う。他の追随を許さないプロ棋士としての鋭い着眼点、味わい深い文章、詳細な記述は対局の記録としても非常に秀逸で、後世に残る貴重な文を多く遺されました。
— ひふみん@2/5アウトデラックス (@hifumikato) 2015, 1月 31
ある意味、将棋界のレジェンド。昨夏には『アウト×デラックス』SPでは、お元気な姿でコメントを戴き番組に花を添えていただきました。河口俊彦さんの長年に渡る偉大な足跡に心からの敬意を表するとともに、謹んで御冥福をお祈り申し上げます。加藤 一二三
— ひふみん@2/5アウトデラックス (@hifumikato) 2015, 1月 31
片上大輔六段。
河口先生のことはお昼頃メールが入って、驚いて思わず声を上げてしまいました。僕も一度だけ観戦記を書いていただいたのは良い思い出です。昔の対局日誌も、後年になって読ませていただきました。ご冥福をお祈りします。
— Daisuke Katagami (@shogidaichan) 2015, 1月 31
えりりんこと山口恵梨子女流初段。
河口先生、ついこの間まで連盟でご挨拶していたような気がしていたのでとても驚きました。ご冥福をお祈り申し上げます。
— 山口恵梨子 (@erikoko1012) 2015, 1月 31
将棋関係者の方もお悔やみのツイート
朝日新聞文化くらし報道部で将棋も担当され縁が深い山口進さん。
将棋の河口俊彦七段がお亡くなりになりました。将棋マガジン誌で始まった「対局日誌」は将棋を伝える文章の新しい地平を開きました。ご冥福をお祈りします。
— YAMAGUCHI,Susumu 山口進 (@yamaguchis21) 2015, 1月 31
観戦記者の銀杏さん。
訃報:河口俊彦さん78歳=将棋棋士七段、作家 – 毎日新聞 http://t.co/Z3HkwtqG6z #shogi
謹んで哀悼の意を表します。
— 銀杏 (@ginnan81) 2015, 1月 31
12月22日、私は棋王戦挑戦者決定戦第1局の打ち上げに顔を出した後、将棋会館へ戻ってA級を見ていました。河口七段は「囲碁の手割でいうと、この駒が効率悪いから三浦君はこういう指し方しないよ」などとおっしゃりながら検討されていました。「よいお年を」と言って帰られたのが昨日のようです。
— 銀杏 (@ginnan81) 2015, 1月 31
25日から日本経済新聞で河口俊彦七段の観戦記が掲載されています。1月8日対局の▲石田直裕四段-△横山泰明六段戦です。
— 銀杏 (@ginnan81) 2015, 1月 31
朝日新聞の生活文化部記者である村瀬信也さん。
渡辺明王座に羽生善治二冠が挑戦した2012年の王座戦第4局(△6六銀で有名な一局)、観戦記を担当したのは亡くなった河口俊彦七段。羽生二冠の2手目3二飛戦法から、かつて河口七段が故村山聖九段を破った対局の局面に合流。それを指摘されると「覚えてないねー」と言いつつ、 嬉しそうでした。
— 村瀬信也 (@murase_yodan) 2015, 1月 31
中継記者のmtmtこと松本博文さん。当時の事情もツイートしておられます。
自分が『ルポ電王戦』を出版した際、河口七段ははがきで「面白かった」と感想を聞かせてくれた。後には銀座でお祝いの席を設けてくれた。「私ほど先生の文章を読んでいる読者は、そうはいません。先生が何を書いてきたか、先生よりもよく覚えていると思いますよ」と言ったら「そうかい」と笑っていた。
— mtmt (@mtmtlife) 2015, 1月 31
河口俊彦の文章は、将棋ファンからは面白いと思われていた。一方で、業界内では冷淡に見られることが多かった。
— mtmt (@mtmtlife) 2015, 1月 31
河口俊彦は棋士だから、仲間内に遠慮しないで書きたいことが書けた、とよく言われる。ある意味そうかもしれない。しかし、それだけではないと思う。河口自身がよく書いていたように、仲間内で恨まれ、嫌われると、損をするばかりでろくなことはない。
— mtmt (@mtmtlife) 2015, 1月 31
棋士同士、仲間内と言っても、河口のような低段の棋士(「対局日誌」が始まったときは五段だった)と、大山、加藤一二三、米長、中原といった超一流とでは立場がまったく違う。それらの棋士に対して書きたいことを書いたのは、河口の気骨、パーソナリティーによるところが大きいと思う。
— mtmt (@mtmtlife) 2015, 1月 31
まだまだ多くの方がツイートをされていますし、今後も各方面よりお悔やみのツイートや増えるものと思われます。
多くの棋士に影響を与えた河口俊彦さん。あらためてご冥福をお祈りします。