落語家の二代目桂ざこばさんが、7月19日のNHK Eテレ「日本の話芸」で古典落語の「笠碁」を披露しました。
NHKの「日本の話芸」のホームページによると、これは6月4日NHK大阪ホールで収録されたもの。
7月25日の午前4時30分には総合テレビで再放送されるようですので、興味がある方はご覧になっていただければと思います。
「笠碁」は囲碁をテーマにした落語の演目です。
しかし桂ざこばさんの師匠である三代目桂米朝さん(今年3月19日に死去)が将棋好きであったことから、まずその思い出の話から始まります。さらにはなんと、将棋電王戦にも触れられます。
囲碁の演目で
桂米朝さんの「将棋小噺」は落語業界では有名らしいです。
2007年は芸能生活60周年(米團治に入門してから数えて)であり桂米朝を祝う会なども行われ、退院以来のトリで落語『将棋小噺』を披露した。
ホールの舞台に登場した桂ざこばさんは、米朝師匠との思い出を話し始めます。
米朝師匠は、ざこばさんの落語に対して何か言いたがる人だったとのこと。「お客さんには手のひらを見せたらあかん」とか「今日はよく噛んでたな」とかいう指導ならまだいいのですが、言うことがないときは無理矢理にでも「高座で使ったあの座布団、いっぺん日に当てて乾かしとけ」とか言われた、と。
師匠との将棋
そんな米朝師匠は将棋でも言いたがる人だったらしく、ざこばさんとの対局で勝利すると「おれが飛車くれ言うた時、おまえ飛車逃げたやろ、あれ逃げたらあかんがな。あれはほっといてな、わしの頭の上に金を打ったらええねん」などと解説されたそうです。
感想戦ですね。棋力は米朝師匠の方が上だったとのこと。
強敵現る
そんな米朝師匠に強敵が出現。
ざこばさんの兄弟子である二代目桂枝雀さんの弟子の桂九雀さんです。九雀さんは高校の将棋部で副部長を務めたほどの腕前だそうです。Wikipediaの桂九雀のページには下記のようにあります。
趣味の将棋(箕面高校将棋部出身)はアマチュア三段の腕前。かつて発行していた「九雀月報」には、毎号、自作の詰将棋を発表していた。 また日本女子プロ将棋協会発行の「詰め将棋カレンダー」には2010年、2011年、2012年、2013年と連続して作品が掲載されている。 上方落語協会に将棋部を立ち上げて活動も行っており、「繁昌亭名人戦」という将棋部員による落語会を繁昌亭夜席で企画している。
米朝師匠は九雀さんと対局。しかし、さすがに上記の腕前には勝てず、米朝師匠は敗勢に。
すると米朝師匠、「いやあ」と頭をかいていたかと思うと突然立ち上がり「寝る!」。
将棋で負けたら悔しい
あれだけ言いたがりの師匠が「寝る」と言って立ち上がり去っていったことに、ざこばさんは「やっぱり悔しいものがあるんでしょうね」と解説。
気持ち、すごくわかります。将棋で負けたら異常なほど悔しい時があるんですよね。あれは何なのか。トランプの大富豪とかテレビゲームのマリオカートとかだったらそれほど悔しくないんですが。将棋を指す人だったら誰にでも経験があると思います。
枝雀さんは、弟子の九雀さんに「おまえ、勝ったらあかんがな。加減せな」と注意したとのこと。
電王戦
ざこばさんは「なんとも言えませんなあ、将棋でも、碁でも。盤の上に手をおいて『負けました』一言言うの。辛いでしょうね」と改めて負けた時の辛さを解説。
一方、勝った側も「『(両腕をあげるポーズで)勝ちました!』・・・こんなん言えへん。(黙って)頭を下げて」と、勝者敗者それぞれの姿に「ええもんです。これ、人間対人間やから」と述べました。
続けて「今、ロボット、コンピュータとやってるん。今年3勝2敗ですわ。将棋の部は」。
えええ!!
まさかざこばさんの落語で将棋電王戦の話が聞けるとは思いませんでした。
これは明らかに今年3月から4月にかけて開催された将棋電王戦FINALのこと。プロ棋士5対コンピュータ5の団体戦で、プロ棋士側からみて3対2の対戦結果となりました。
コンピュータは『負けました』言えへん
ざこばさんは「コンピュータはいきまへんわ。負けたって『負けました』言えへんもん。あれはいかんわ。アームみたいなやつでビャッと打ってきよんねん。あんなんあかん」と、電王戦のコンピュータに対する不満を述べました。
「アームみたいなやつ」とは、将棋電王戦向けに開発されたロボットアーム「電王手さん」ですね。
そして提案が。
「やっぱりコンピュータも負けだすと、なんか震えが来てね、ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ言うて、このへん(肩)から煙がパーッと出てきてね。最後はドバーンと倒れるとかなんとかならな、いかんのやないかと思いますが」
おおお?!
電王戦FINALで使用された電王手さんの投了動作は、アームがゆっくりおじぎするだけですが、これでは不満であると。
人間が悔しがるのと同様、コンピュータが「将棋で負けた時の悔しさ」を表現するためには、ドバーンと壊れるぐらいの投了動作をしてほしい、ということでしょうか。
コンピュータにとって敗北とは
以下は、私(管理人)が個人的な感想を述べます。お見苦しい点があるかもしれません。電王戦やコンピュータ将棋に思い入れがある方は、次の見出しまで飛ばしていただければと思います。
私は、ざこばさんが言いたいことがわかる気がしました。電王戦において棋士が負けた時、電王手さんという機械に向かって頭を下げて「負けました」と発するという風景。これを改めて考えみると、人間にとって結構屈辱的なことに映るかもしれないなと。その人間が子供の頃から一生をかけて鍛錬してきたことですし。
桂ざこばさんは67歳ですが、もしかしたら年配の方には特に、棋士があのように機械に頭を下げる姿が、ある意味残酷というか、誇りを傷つけられるとか、そういう風に映るのかもしれませんね。反面、それに挑んでいく棋士の勇姿を引き立たせるという効果もあると思います。
ただ、ざこばさんはこの状況に「あんなんあかん」としつつも、提案もしています。つまり、機械側も負けたら屈辱的な光景を見せてくれと。それであればフェアだということでしょうか。
正確には、電王手さんはソフトが示した指し手を盤上に再現するだけの装置で、負けたのは電王手さんではなくて、コンピュータ将棋ソフトなのですが。ざこばさんはニュースか何かで投了の光景を見て落語にされたのだと思います。
なので、ざこばさんの意図をくむのであれば、本当は電王手さんではなく、「ソフトがドバーン」となるべきなんでしょうが、これがどういう状態なのか私には想像できないです。
ふと「擬人化」というキーワードが思い浮かびました。思い浮かんだだけです。
笠碁は「待った」がテーマ
将棋で負けた時の悔しさの話があり、電王戦でソフトが負けた時の話があり、その流れで「笠碁」が始まります。「笠碁」は、囲碁の「待った」をテーマにした演目。「待った」が喧嘩に発展してしまいます。
将棋でも「待った」はありますし、囲碁のルールを知っていなくても楽しめる演目だと思います。
私がここに書いた内容では、ざこばさんがどのようなニュアンスでお話をされたのか、わかりにくい部分もあるかと思いますので、興味がある方は7月25日の午前4時30分のNHK総合テレビでの再放送をご覧になってみてください。
しかし落語界の大ベテランも電王戦をネタにするとは。それだけインパクトがある棋戦なのだと思います。
追記:
落語家といえば、元落語家の伊集院光さんも電王戦についてラジオで喋っていました。
電王戦FINAL第2局の「角不成」を伊集院光さんが解釈「漫画の世界だ」
以上、最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
コメント
凄い守備範囲ですね。全くこの放送存じ上げませんでした。
負けた時の表現ですがコンピュータや電王手さんにダメージを負わせるのはいろいろ面倒なので(
冗談でしょうが)
ハチワンダイバーのように擬人化させて局面毎に表情が変動するようなモニターが出来て合成音声で「負けました」って言ってくれればいいなと思います
ふざけてると思われるかもしれませんが(汗
余談ですが電王戦でTRONの坂村健さんが人間は
調子の善し悪しがあるのだから複数回やって一回でも勝てれば人間の方が強いと確かおっしゃっていてなるほど一理あると思ったのですが電王戦関連でこういう意見はあまり見られないのが疑問です。
たしかにコンピュータも指し手にランダム性をもたせているので棋力は変動するでしょうが
人間の方が変動の幅は大きいのかなと勝手に思っています。
どう思われるかよろしければお教え下さい。
コメントありがとうございます。
将棋フォーカス→NHK杯テレビ将棋トーナメント→囲碁フォーカス→NHK杯テレビ囲碁トーナメントとあって、その次の番組がこれです。
実際、将棋ソフトを擬人化する試みはされていると思います。クジラちゃんですね。
もうちょっと進んだ擬人化手法もあると思いますが・・・・なかなか、コンピュータ将棋については、私も勉強しているつもりではありますが、まだ勉強不足で、冗談でもふざけたことを書けない雰囲気があります。
坂村健さんの話は初めて聞きました。そうでしたか。チェスのカスパロフさんも同じようなことを言われていたかと思います。
でもたぶんわかりにくい議論なんだと思います。例の△2八角など、盤上のことでさえ、それでいいのかどうなのかと見解が分かれますので。
棋力の変動幅のお話ですが、いろんなソフトや人間がいますので一概には言えないのでしょうが、一般的には、人間のほうが変動幅が大きいように思います。体調や精神的なことの影響が大きいのではないかと。ランダム性というのはそれ自身が相手に勝つために存在するものですので。
コメントありがとうございます。
青木さんのアニメ Shogi Hour を思い出しました。そのものずばりの光景が見られます。> 「やっぱりコンピュータも負けだすと、なんか震えが来てね、ガリガリ、ガリガリ、ガリガリ言うて、このへん(肩)から煙がパーッと出てきてね。最後はドバーンと倒れるとかなんとかならな、いかんのやないかと思いますが」
https://www.youtube.com/watch?v=al3sgm33OjM
電王戦を見ていて思ったんですけど、対局開始と終了の時は、ソフトの開発者が盤の前もしくは横に座って一礼すればいいのになあ、と。
とはいえ、電王手くん(さん)を作ったデンソーはよくやってくれたと思うのですけどね。
第二回の人が代指ししてた時よりは、コンピューター将棋というのが分かりやすく伝わってたので面白かったです。
コンピューターに感情がない時点でこれ以上は望めないし、開発者が前に出て投了するのはどうかと思ったのですけど、
あくまで相手は将棋ソフトであって開発者という人間じゃないからそれもまた変な気がします。
結局のところソフトの決定を伝える役割を果たす電王手くんにやらせるのが最善でしょうけど、露骨な過剰動作をさせても茶番にしか見えませんし難しいですね。
個人的にはゆっくりと駒台に手をかざしてお辞儀するあの動きくらいが、ソフトの心象(そんなものありませんが)を人間が想像するには丁度良いと感じていました。
何のかんの言っても、将棋ソフトは枠組みの中の計算というか『棋力』特化の道具で、言語力や想像力などを含めた総合的な『知力』が高いわけじゃないから人間と同列に扱うのもおかしいですしね。
伴う感情がないのに外側だけ大袈裟に見せても意味はないと思います。……いや、人間からすれば多少痛快な気もしなくはないですが(笑)。
逆に考えると、人間が無感動のソフトに対してもいつも通り「負けました」と健気に伝えることこそがおかしいのかもしれません。
もちろん、本当の意味でソフトに語りかけているではなく自分と周囲の人間に対するケジメ、礼儀、言葉なのでしょうけれど。
takodori様:
コメントありがとうございます。情報ありがとうございます。
ざこばさんの話と結構似ていますね。震え、煙、倒れる、などはロボットが壊れる時の光景として典型的なものなのかも。何かのロボット映画かアニメかの影響かもしれません。私はロボットアニメといえばドラえもんぐらいしか見たことないですが、ドラえもんが壊れる時は泣きそうになるぐらい辛いものです。
中嶋様:
コメントありがとうございます。
それがですね、難しいところですね。ソフト開発者VS棋士という風には見られたくないのかもしれません。あくまでコンピュータVS人間という風に見せたいのかなと思いました。下の答えの話にも通じるんですが。
匿名様:
コメントありがとうございます。
デンソーさんがよくやってくれたのは、そのとおりだと思います。ソフト開発者がどの程度関与すべきかというのが、これも難しい問題ですね。端的な例は電王戦FINAL第5局の「投了」ですね。
ざこばさんが言うように、棋士が悔しさをにじませて投了する一方で、機械はおじぎするだけというのが「あかん(つまり不公平ということだと思います)」、あるいは特に年配の方にとって抵抗があるとすれば、私はどちらかというと下のやり方を支持しますね。
ショーとしては面白く無いのですが、ロボットが人間側に近づくのではなくて、人間がロボット側に近づくという感じです。棋士側も対局場の盤の前にいるのではなくて、別室で対局をする。盤の前では「電王手さんVS電王手さん」という光景。棋士は電王手さんに指し手を指示する、ぐらいのことだと良いかもしれません。格闘ゲームの、人間とCOMの対戦みたいな感じですね。人間はコントローラを使って画面の中のキャラクターに指示を与えるというイメージです。投了も、コントローラを使って指示するだけ。しかしショーとしてはやっぱり面白く無いですね。
でも、棋士の熱狂的なファンの人だったら、その棋士がロボットを前にして頭を下げて投了する光景は見たくないという気持ちはわかりますね。
皆様コメントありがとうございます。