よく囲碁はお金持ちあるいは上流階級の人がやっていて、将棋は庶民がやる、というイメージがあると言われています。当サイトは将棋サイトなのでそういうイメージは遺憾です。
だた実際、複数の会社経営者から囲碁は教養としてやっているという話を聞いたことがあります。
なぜ、そういうイメージなのかはよくわからないのですが、この記事では一応、その理由を推測しまして、その後、羽生善治名人が「将棋のイメージを高めるためにはどうすればいいか」という質問に答えていたのでご紹介します。
囲碁が先に上流階級に広まった
雑誌「将棋世界」の2015年10月号「ここまでわかった!将棋の歴史(第3回)」では、「碁打ちと将棋指しはなぜ同格になったか」というテーマがあり、遊戯史研究家の増川宏一さんが以下の様な話をされています。
囲碁は将棋より数世紀も前に伝来し、中世以降、中国の教養思想である「琴棋書画」の影響を受けて、公家や僧侶の間では教養の一つとみなされるほど重要視され(中略)。囲碁に比べて将棋も愛好者が次第に増えましたが、技芸として囲碁ほど高く評価されなかったようです。
ただ、16世紀になると公家の中でも将棋の評価が高まり、当時の有力者からも将棋指しが招かれるようになった、その理由は持ち駒再使用のルールが確立されたことで、囲碁と同じように奥深い盤上遊戯だと認識されたからではないか、とのこと。
つまり、増川さんによると日本に先に普及したのは囲碁であり、先に当時の上流階級に広まった、その後、持ち駒再使用ルールの将棋(本将棋)が広まって上流階級にも認められるようになった、という歴史があるようです。
その後の庶民への普及は、囲碁と将棋両方共あったようですが。
この歴史から推測すると、やはり囲碁のほうが何世紀か先に上流階級に定着したため、今日までその影響が残っている、ということは考えられるかもしれません。しかし何世紀もその影響って残るものなのか。それはそれでロマンではありますが。
でも、なんとなくですが、先に定着したものって高級なイメージがありませんか。喩えるのはおかしいかもしれませんが、身近なものでいえば、百貨店やスーパー、携帯電話会社、コンビニエンスチェーン、電子機器メーカー、お菓子屋さんなど、後発のものより先に広まったもののほうが、なんとなく高級で上品というか品格があるイメージが。(個人の感想です)
ゲーム性の違い
よく囲碁は金持ち将棋は庶民の話をする時に、そのゲーム性の違いを指摘する意見があると思います。
将棋は目的がはっきりしていてわかりやすく、囲碁は漠然としていて掴みどころのなさそうにみえる、という感じで。
実際、盤面状態の種類は将棋が10の71乗、囲碁が10の160乗、ゲーム木の複雑性も将棋は10の226乗、囲碁は10の400乗だとのこと。将棋の方が単純、囲碁は複雑ということになると思います。
お金持ち、上流階級の人が複雑なゲームを好む、ということはあるのかもしれません、根拠はないですが。あと将棋の方が決着のつきかたが残酷で、クライマックスが劇的で、逆転のゲームなので、それがある層には敬遠された、ということもあるかもしれません。
以上は推測でしかないのですが、この記事の本題はこれからです。
将棋のイメージを高めるには
2015年10月3日の「将棋を世界に広める会」の設立20周年シンポジウムで、記念講演をした羽生善治名人にある質問が寄せられました(羽生名人がハム将棋に言及した講演です)。
質問者はおそらくお年寄りの男性。このシンポジウムは、同会の会員だけでなく一般の方も参加可能でしたが、いずれにしても「将棋を世界に広める」という目的を少なからず持って参加していたものと思います。
質問者「碁を打つ人は金持ちで、将棋を指す人はそうではないというイメージがあって誠に残念だ。将棋は庶民、貧乏人がやるというイメージが定着していると思うんですけど。将棋の名人には、将棋をやる人の方が金持ちだというイメージを高めて欲しい」
私にはどうしようもないが
質問中、会場からは笑いが起こっていました。羽生名人も笑いながら以下のように回答されました。
羽生名人「高めるというよりは、そういう人がやるかどうかという問題がありますし。私にはどうしょうもないんですけど(笑)」
しかしここから真剣な話が始まりました。
羽生名人「ただ、位置づけは確かに、ちょっと違うということはあるのかなと思いますね。例えば、囲碁も将棋も海外に行けば文化ではなくて頭脳スポーツというカテゴリに割り当てられてしまう。将棋を普及していく時に、説明する最初の段階で、伝統的なものであるということを伝えることは大事かなと思っています」
確かに、このシンポジウムでも度々議題になり、羽生名人もよくお話されていることですが、将棋の日本の伝統文化としての側面を説明するというのは、イメージを高めることになりそうな気がします。
羽生名人の回答は続きます。
羽生名人「もちろん、お金持ちの人に将棋を指してもらうのがいいと思うんですけど、私としては将棋は盤と駒があれば気軽に誰でも楽しめるものとしての価値が大きいと思うので。イメージを上げるという努力は必要なのかもしれないですけど、一方で庶民的なものであり続けてほしいなとも思っている。だからといって裕福な人が指してはいけないというわけではないんですよ(笑)。そういうことではないんですが、庶民的な面はこれから先も守ってほしいなと思っています」
子供たちに教える時に
なるほど。というわけで皆様、将棋を誰かに教えるときは、そのイメージを高めるために日本の伝統文化であるという側面と、誰でも気軽にできるという側面を両方教えていただきますとよろしいかと思います。
なお、同シンポジウムで青野照市九段(日本将棋連盟専務理事)は、将棋と囲碁を比べた場合、子供たちがやるのは将棋が圧倒的に多いというお話をされていました。
つまり特に子供に将棋を教える方におかれましては、ゲームとしてのルールと同時に伝統文化としての側面を教えていただきますと、将来将棋のイメージが高まっていくと思いますので、よろしくお願い致します。
コメント
将棋は、「相手の王様をやっつけたら勝ち」っていうのが分かりやすくて子供にはとっつきやすいですよね。
「相手の陣地まで到達したら変身して強くなる」ってのもロマンがありますし。
囲碁は、奥深いけどもっと地味というか、大人のゲームな気がします。
将棋のイメージを「高める」必要はありませんwww
ゴルフなんかは、スポーツの中で。極端に古い物ではないと思いますが、高級感が
ありますね。将棋より少し新しく。ルールが現在のものになったのも、日本将棋と
ほぼ同じ時期かと思います。全体として将棋は、ゲームをするのに。必要な費用が、
多くなりようがないんですね。つまり、ひけらかしが出来ないと言う事では無いか
と思います。今の有り用では、根本的に解決策は無いのでは。いっそ囲碁と同じく
囲碁盤を使う、広将棋や七国将棋を流行らせるか。線の数が囲碁盤より縦横1本づ
つ多くて道具を作るのに金のかかる、摩訶大大将棋にでも移行するかしては、どう
でしょうねぇ。
囲碁と将棋の関係は、能と歌舞伎の関係に近いでしょうね。
元々能の方が身分の高い人の娯楽というイメージがありますが、
庶民派の歌舞伎の方が一般人気はあります。
どちらがいいか、一概には言えませんね。
匿名様:
コメントありがとうございます。私もそのようなイメージが有りますね。囲碁はあまりやったことがなくてよくわからないのですが、なぜいい手なのか悪い手なのかの理解が将棋に比べるとわかりにくいのかなと思いました。もちろんわかりやすいのが面白く、わかりにくいのがつまらないではないですが。
あなあき様:
コメントありがとうございます。
いやーやっぱり高めたいと思っている人はいるはずです。
長さん様:
コメントありがとうございます。
ああ、確かにゲームをするのに必要な費用は、囲碁のほうが将棋よりちょっと高いでしょうか。といってもそれほど大きな差ではない(例えばサッカーとゴルフほど大差はない)はず。たしかに誰でもできるのでステイタスというかひけらかしというかには成り得ないですね。ただ、だからといってルールを変えたり摩訶大大将棋にするのはちょっと辛いですね。
もと様:
コメントありがとうございます。あーそういえば、能と歌舞伎、なるほど。上のスポーツでもそうですが、なんらか好まれる理由があるのでしょうね。私は若いころに能は観たことがありますが、確かに高尚な感じがいたしました。もちろん、どっちがいいとかいう問題ではありません。
皆様コメントありがとうございます。
そう言えば。玉(翡翠)や金や銀などという金持ち系の字を
木地に書いて、いじけて(?)使う事自体。
将棋って。貧乏人の匂いが、元々しませんか。
質問者の願いが絶対無理なのが、実は将棋史の研究が進むと将来、
ひよっとして証明ができてしまいそうな。
それなりに、面白い話があったもんだと、
この記事をもう一回読みなおして、更に感心しました。
再びのコメントありがとうございます。
まあ成り立ちはよくわかりませんが、昔はイメージが良くなくて現代になってイメージアップしたものもあると思いますし、私は将棋が元々貧乏人のにおいがするなんてことはありませんね。
将棋ファンになるまでは囲碁が金持ち将棋が庶民なんて意識したこともありませんでしたから。世代の問題なのかもしれませんね。
まあ、「極貧」というよりは。将棋の木製の駒道具については。「中流階級が、
大金持ちを羨んでいる」って所でしょうかね。これ。「持ち駒ルール」とおん
なじで。世界中で、日本の将棋にしかない「謎の性質」なんですね。
盤駒が木製なのって入手と加工が簡単だったからで、深い意味は無いんじゃ…
それに将棋への悪いイメージが一般的かという点からして、疑問に思います。偏見は古い時代の話で、偏見持ち世代がいなくなれば消えるという認識です。
(この流れが終わってほしいので反応しない方がいいと思いながら、つい書き込んでしまいました。すみません。)
作りやすさだけじゃなくて、駒の具体的な名前が大事です。日本の将棋。「奈良~平安
時代に、ジワジワ伝来」じゃ無いんじゃないですか? つまり。
日本将棋には、他の国の同系列のゲームとは違い。アダムとイブが居るのかもですね。
ポイントは。「中流階級が、 大金持ちを羨んでいる」というのは、あくまで歴史の
ひとコマであって。縄文時代から平成までの時代の、いつもではないと言う事です。
つまり、世界中のチェス・将棋型ゲームとは違って。日本の将棋には。
翡翠駒、金駒、銀駒を使って、特定の”原始的な日本の将棋”を、
ある時代(たとえば西暦1015年というように、年号まで特定できると言う事)
に指した、特定の大金持ちが、個人レベルで存在した可能性が有ると言う事だと
思いますが。それを模倣する中流人にとって。木は、翡翠、金、銀よりは、入手が
容易だったのですね。特に、九州大宰府には。仏教経文用の五角形の木札の予備が。
荷揚げ地のため、もともと多数有ったようですしね。
匿名様:
コメントありがとうございます。
そうですね、私も上で書いた通り、将棋ファンになるまでは囲碁と将棋が金持ちと庶民、という話はまったく知らなかったですから。博打みたいなイメージはあったかもしれませんが。まあそういうことがあったとしても日本で伝統的に何百年と遊ばれてきたゲームですので、そのことの価値に比べれば些細なことだと思います。世代の認識の違いというのももちろんあると思います。
長さん様:
コメントありがとうございます。
まあ成り立ちや、木製の理由や文字の理由やルールの形成は研究者の方にお任せします。仮におっしゃるような成り立ちであったとしてもそれが現代の将棋のイメージに影響するとは思いませんし、やっぱり何百年も飽きずに遊ばれてきたとか、伝統があるっていうだけで価値があることなんだと認識しております。もし何らかの理由で悪いイメージを持たれている人がいるとしても、あまり気にするようなことではないのかなと思います。
皆様コメントありがとうございます。