日本で最も有名な冤罪事件の一つである、袴田事件。
この事件のことは知っていても、罪を被せられた袴田巌さんがその後どのような生活をしているかは知らない方も多いと思います。私(管理人)も知りませんでした。大変辛い話なのですが、現在79歳の袴田さんは、拘禁反応という症状に見舞われているとのこと(詳細は下記)。
しかしその症状下でも、将棋だけは正しく指すことができるようです。当サイトは将棋専門サイトですが、このような社会問題と将棋の関わりを伝えることも、意義があるかなと思い、ご紹介します。
拘禁反応とは
2014年の3月に拘置所から釈放された袴田さん。2015年3月25日のTBS系「いっぷく!」では、釈放から1年経った現在の生活について取り上げられていました。
事件については、そのWikipediaの記事を見れば概要はわかりますが、簡単に説明しますと、袴田さんは1966年に無実の罪で逮捕され、1980年に死刑判決を受け、その後死刑囚として34年間、拘置所の独居房という約4畳の空間で過ごすことに。
2014年3月に再審開始と刑の執行停止が決定され、現在に至ります。逮捕から実に47年以上、自由を奪われていたことになります。しかも身分はいまだ「死刑囚」のまま。
そんな袴田さんですが、釈放されたからといってすぐに普通の日常生活を出来るわけではなく、現在も「拘禁反応」に苦しんでいるとのこと。苦しんでいるのは本人もそうですが、周りもです。
ハワイで生まれて、大学を主席で卒業
袴田さんは、番組スタッフから事件のことを尋ねられると「私はハワイで生まれてハワイで育った」「大学を主席で卒業してボクシングをやっていた」「日本とは関係ない」「こがね味噌事件(同事件の別名)もないし、死んだ人もいない」などと発言。
これらの発言、ほとんど事実とは異なるものです。プロボクサーとして活動した時期は確かにありましたが、ハワイで生まれ育った、大学を主席で卒業した、という事実はありません。
ありえない話をする。これが拘禁反応の症状の一つで、長期間に渡り拘束され、しかもいつ「執行」の日が来るかわからない状況で、それに直面しきれず、自己防衛的にこのような状態になるのだそうです。
全世界の天下を取った、王正2年
袴田さんの日記にも拘禁反応は現れ、「全世界の天下を取った」「霊の国の決定」「王正2年1月」という支離滅裂な言葉が。王正2年は、もちろん存在しない年号、すべて自分の中の世界の話なのですが、拘禁反応がそうさせているのだそうです。
会話はほとんどない
袴田さんは現在、姉と2人暮らしをしています。ただし、袴田さんは姉を姉だと理解できていないようです。
その姉によれば、袴田さんは家の中で突然、一心不乱に同じ場所を何度も何度も行ったり来たりする状態になるそう。毎日4、5回、それぞれ5分間にわたりこのような行動をとるとのこと。釈放から1年経った現在でもそうですが、釈放直後は1日10時間も同じ行動をとっていたそうです。
2人暮らしですが、会話はほとんどなく、食事も離れた場所で別々にとるということです。
居飛車党か?
そんな袴田さんが笑顔を見せたのが、番組スタッフと将棋を指している時。本人曰く「毎日やっている。小さい時からやっている」とのこと。
来客があると何よりもまず、将棋を指すのだそうです。スタッフが尋ねた時も、挨拶を終えた直後に突然将棋盤を広げてやり始めました。
盤面はチラッとしか映らなかったのですが、袴田さんは居飛車で、居玉で、角を5五の地点に繰り出していました。私の不勉強でこれがどのような戦法なのかはわかりませんが、後手番で若いスタッフを負かしていました。
姉曰く「将棋は昔から強かった。子供の頃から兄弟で、一生懸命やっていた」とのこと。
守りと攻撃のバランス
訪ねてきた寺澤さんという支援者の方とも将棋を指すことがあるようで、袴田さんは寺澤さんの将棋の弱点について「守りと攻撃の、バランスが違うんだね」と話し、また、ボクシングとの違いについて「ボクシングは先手だね、先手だからやられない。後手じゃやられる」とも話していまいた。
寺澤さんによれば、袴田さんは「将棋とボクシングについては(まともな)会話ができる」のだそう。
ほぼ唯一の会話材料
さすがに79歳でボクシングはできないでしょうから、将棋が唯一と言ってもいい日常の会話の材料なのだと思います。
これって重要なことだと思いませんか。もし袴田さんが小さいころに将棋をやっていなかったら、現在はどんな会話ができていたのでしょうか。
もう一つ重要なのは、袴田さんが拘束されてからほぼ半世紀の時を経ても、当たり前なのですが将棋というゲームが存在し、そのルールを袴田さんが覚えていたということ。例えばテレビゲームとか、スマホのゲームとか、私もやることはありますが、いくら面白くても半世紀後にも存在し熱中できるゲームがどれほどあるでしょうか。
袴田さんの不幸の傍にある、将棋という完成されたゲームの偉大さに気づきます。
完治できるかわからない
袴田さんのように、ほぼ半世紀という長期間、拘置所の独居房という狭い空間に拘束されて恐怖下に置かれていた事例は滅多にないそうで、その拘禁反応が完治するかどうかは専門家でもわからないとのこと。ゆっくり回復していく可能性もあるらしいのですが。
この事件、2014年3月27日に再審開始が決定されましたが、静岡地検はその4日後に即時抗告しています。現在は東京高裁でこの即時抗告を審議中。まだまだ無罪確定までの道は遠いという局面。
司法の次の一手が注目されます。
以上、ありがとうございました。
コメント
管理人様、胸に染み入る記事ありがとうございます。
私は「袴田事件」についてほとんど知りませんし、「拘禁反応」に苛まれている袴田さんの心の傷を想像することもできません。
でも、想像もつかない拘禁生活により平常の感性を失ってしまったかのような状態にあってもなお、純粋に楽しめているらしい「将棋」というゲームの力に、改めて胸を打たれました。
管理人様のおっしゃるように、50年の歳月を経てもほとんど変わらずに将棋が存在し、嗜好されているんですよね。だからこそ、お年寄りから少年少女まで、あるいは、老齢の袴田さんと若いスタッフとが、対等に楽しめるんですよね。
ひょっとしたら全く関係ないかもしれませんが、今回の記事で、私は東日本大震災の避難所でのお話を連想しました。
物資がまだ十分でない避難所で、自然発生的に将棋が流行りだしたいう話を、内館牧子さんが将棋誌で紹介していたように記憶しています。
紙を切り抜いて作った駒と盤を使って、将棋をわかる子がほかの子供達にルールを教えて、一緒に避難しているお年寄りも交えて将棋で遊ぶのが娯楽だった、とか、うろ覚えですがそんな話です。お年寄りの方々にとってもさぞ心の慰めになったのではないかと想像します。
世代を超えて対等に戦える(楽しめる)ゲームって、素晴らしいなと思いました。
長々と失礼致しました。
コメントありがとうございます。
私も今朝ニュースを観るまでは、冤罪だということや、簡単な概要以外はあまり知りませんでした。
当事者がどのように苦しんでいるかなど想像もつきませんでした。
そしてそのニュースに、ぽっと出てきた将棋盤や駒、将棋を指す姿が私には印象に残りました。
ゲームはもちろん、日常生活のなかでも、半世紀経つといろいろ変わってしまうものですよね。
食や住環境や人々の職業や何から何まで変わる中で、変わらないものというのは、大変貴重な存在だと
思います。改めて気付いております。
これからも将棋が存在し続けるように、そしてもっともっと広がるように、このサイトがそんな
役割をほんの少しでも果たせれば幸せだと思っています。
東日本大震災のお話、有り難うございます。世代を超えるとはまさにそのようなことだと思います。
私にも、そしてここを訪れる方にとっても有益な情報だと思います。
お年寄りにとっても、子どもたちにとっても、そのような体験は一生思い出に残りますね。
世代を超える趣味やゲーム、というのもなかなか見つからないものです。
コメント欄は確か特に文字数制限はありませんのでいくらでも書いていただいてかまいません。
ありがとうございました。
2月26日福島みずほと語る会模様の写真を送付したいと思いますので
袴田秀子のメールアドレスを教えてください
申し訳ありません。メールアドレスは存じておりません。袴田さんの支援団体や弁護士を通じて送るのがよいかと思います。