雑誌「将棋世界」の2015年9月号に掲載されている佐藤康光九段、藤井猛九段、菅井竜也六段の升田幸三賞受賞経験者による座談会「創造の原動力(後編)」では、3人の序盤、中盤、終盤それぞれの研究時間の比率がテーマとなっている場面がありますのでご紹介します。
この座談会は7月号から3号にわたり掲載されていて、それぞれ興味深い話題を扱っています。
序盤、中盤、終盤の勉強時間比率
記事に書かれている3人の序盤、中盤、終盤の勉強時間比率について簡単にまとめると以下の表です。
まずこれは以前の比率。
序盤 | 中盤 | 終盤 | |
佐藤九段 (奨励会時代) | 0.5 | 2 | 7.5 |
藤井九段 (奨励会時代) | 佐藤さんと同じような感じで詰将棋ばかりやってましたね | ||
菅井六段 (以前、時期不明) | 4 | 2 | 4 |
以下が現在。
序盤 | 中盤 | 終盤 | |
佐藤九段 (プロになってからの総量) | 7.5 | 0.5 | 2 |
藤井九段 (プロになってから) | 8.5 | ? | 1.5 |
菅井六段 (現在) | 1か2 | 中終盤で8か9 |
なお藤井九段は序盤:終盤を6:1と表現しています。これは仮に勉強時間が1週間あった時に、6日は序盤、1日は終盤を勉強するという意味です。表中では他に合わせ十分率としました。
変化している
こう見ると、同じプロ棋士でしかも升田幸三賞受賞者であっても、かなり比率が違うことがわかります。九段の2人と菅井六段は全く違う。菅井六段が独特なのでしょうか。
また、勉強時間比率は3人共に大きく変化していることがわかります。
佐藤九段と藤井九段は以前は終盤ばかり、そして現在は序盤がメイン。
一方、菅井六段は以前に比べて極端に中終盤に割く時間が増えています。この理由は
いまは中終盤が強くなりたいという意識が強い
とのこと。
個人差が大きい?
座談会が掲載されている将棋世界の9月号には、サッカーの横浜F・マリノスのアンバサダーである波戸康広さん(アマ二段)と、渡辺明棋王による対談「独りの世界、チームの世界」も掲載されています。
その中では「ベストプレーをするために心がけていること」というテーマがあり、渡辺棋王は対局に向けての調子の整え方について
サッカーと違ってすべて個人でやるので、個人差は大きいと思います
と述べています。「調子の整え方」と「勉強」はちょっと違うかもしれませんが、確かに棋士は個人個人でやってますから、まったく勉強方法や時間の割き方が違って当然なのかもしれません。
ファンタ
さて、ここからは藤井九段についてです。
藤井九段といえば、終盤での「ファンタ」と呼ばれる指し手・・・つまりミスですが、それがあるのでいつもファンをハラハラさせています。
余談ですがサッカーでも「ファンタジスタ」という表現があり、これは普通中盤から前線の創造的で芸術的で意外性のあるプレーをする選手を指します。ただ、「GK(ゴールキーパー)がファンタジスタ」あるいは「GKがファンタジーを・・・」などと言えば、堅実なプレーをすべきところで意外性のあるプレーをした、つまり、ミスを犯した(選手)という意味になります。
さて、そんな藤井九段が最近発動したファンタといえば、7月13日の第28期竜王戦決勝トーナメントのVS永瀬拓矢六段戦。
発生したのは89手目。先手の藤井九段が▲5七歩。
この局面、棋譜コメントには感想戦の記述があり
「・・・ひどい読みをしていた」と藤井は反省していた。
とあります。中継ブログには
これは急転直下、後手が勝ち筋に入った
と書かれています。もちろん、私(管理人)の棋力(初段)では、これがファンタだと理解するのは時間がかかりますが。
竜王戦の決勝トーナメントでは、第19期でトーナメント形式が変更されて以降、ランキング戦4、5、6組の優勝者は、待ち受ける1組5位との戦いに9期連続で破れ続けてきました。これは「1組の壁」と呼ばれていましたが、このファンタによってついに壁は崩されました。
もちろんファンタだけが原因ではなく永瀬六段の実力もあります。勝った永瀬六段は、その後佐藤康光九段、羽生善治名人にも勝ち、挑戦者決定戦へ駒を進めています。
どうすれば終盤が強くなるか
座談会に戻ります。
藤井九段は自身の終盤の勉強時間(前述のとおり序盤:終盤の勉強時間比率は6:1である)について
ちょっと終盤が少ないよね。でもどうやれば終盤が強くなるかわからないからしょうがない
と述べています。ただし、終盤を強くするためには勉強ではなくて
対局数を増やすしかないと考えています
とも述べています。実戦が一番勉強になるということです。
でもそうなると、勝っているうちは、勝つ→対局数が増える→終盤力が上がる→勝つという好循環が発生しますが、一旦負けだすと、負ける→対局数が減る→終盤力が落ちる→負けるという悪循環にもなってしまいそう。
新手は趣味ではない
こうやって自分の弱点をさらけ出して語ってくれるというのも、藤井九段の魅力だと思います。
また、限りある時間の大半を序盤研究に投入したからこそ、常に創造的な将棋ができるのではないかとも思います。
先ほどサッカーの例を出しましたが、ファンタジー(ファンタジスタ)の元々の意味は、創造的で芸術的で意外性のあるプレー(選手)のこと。藤井九段はいい意味での圧倒的なファンタと、そうでない意味でのファンタを兼ね備えた棋士ということも言えると思います。そして前者の意味でのファンタを作り出すための勉強時間が必要であり、上記のような勉強時間比率となっているのだと思います(副産物として後者のファンタが?)。
藤井九段は、座談会の終わりに、升田幸三実力制第四代名人が「新手一生」を掲げ新手を出すことにこだわった理由について、木村義雄十四世名人を倒すために「必要に迫られた」と推測し
新手は趣味ではないですよ。趣味ではない。まずそこに必要性があって、苦労して搾り出すように生み出すものだと思います。
と述べています。
藤井九段の魅力
棋力向上に悩んでいる皆様、竜王3期、棋戦優勝7回の大棋士である藤井九段ですら、終盤は勉強方法が「わからない」と述べ、序盤(新手)も「趣味ではない」という独特の言葉でその苦労を表現しています。
弱点も苦労もさらけ出し、我々はそれに共感する。それもまた藤井九段の魅力であり、多くの熱狂的なファンを生み出している理由にあげられるのではないでしょうか。
なお、座談会では、これ以外のテーマとしてコンピュータ将棋の序盤、3人それぞれの具体的な研究方法の違い、理想の棋士像などについて語られていて、興味深いです。全文は将棋世界9月号をご覧ください。
ちなみに8月号掲載の中編では、藤井九段が自らの新手について
▲5八金右が「藤井新手」と書かれたことがないのはなぜでしょうか?
と不満を述べる場面もあって面白いです。
ゴキゲン中飛車の▲5八金右超急戦は藤井猛竜王の新手。繰り返す。ゴキ中超急戦は藤井竜王の新手
7月号から9月号すべて通して読むと、見えてくるものがあるかもしれません。
以上、ありがとうございました。
コメント
8月号を久々に買ってその記事に興味を抱き、7,9月号も入手しました。面白い内容でした。
升田幸三賞授賞の3人とも升田将棋を語れないといいつつ、スピード感覚、序盤の無駄を省くというかつての羽生さんと同じこと※を語っていたのが印象に残っています。
あと、藤井さんの論理的な話はスゴいです‼
※梅田望夫「羽生善治と現代」
コメントありがとうございます。
さすがにこの3人の対談ということで、面白いですよね。
かつての羽生名人の発言は存じていないのですが(後日読んでみます)、やはり同じような感覚を持っていたということですね。
藤井九段の話、何か本人の声が聞こえてくるような話しぶりがいいですね。しかもすごくこだわりをもっていて。これだけでも将棋世界を買う価値があるかと。
コメントありがとうございます。